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実のところの本音を言えば。進さんが敵方の手になる束縛や暗示から解放され、すぐ傍らまで戻って来て下さったそれだけで、天にも昇るほど嬉しいやら幸せなやら。いよいよの正念場だと限界まで張り詰めていたことで、これまでにないほど前へ前へと勇んでいた気持ちも、あっさり すとんと落ち着き場所を見つけての収拾を見せ始めてて。…何だかもうもう、進さんさえ返して下されば もう罪も科も問いません、このことに免じて皆さんへもお咎めなしですよと持って行きたいような。後はもうどうでもいいやなんて、罰当たりなことを思わないでもなかった、セナ皇子であったらしいのだが。
――― でもね? 勿論のこと、まだまだ終わりなんかじゃあなかったから。
苛酷な運命を辿って来た、悲しい宿命を負わされていた“炎獄の民”の人々を。古来からの言い伝え、救世の使いを降臨させることによって巻き返すのは今ぞと、叱咤激励し、彼らの心の拠りどころとなる“聖職者”という仮面をかぶり、善人ぶって振る舞うその陰で。実は…彼らを良いように操っていた本当の黒幕がいて。僧正様などという肩書の陰で、とんでもないことを企んでいた彼こそは、負界の関係者、闇の眷属に連なる存在で。遥かに昔、彼らの祖先をこの大陸から追放させたその時の、そもそもの元凶にも関わっていたらしいということまでもが判明しての。形勢逆転、大どんでん返しが展開されての大詰めの場にあって、
――― しゃっしゃり・しゃりん
老爺の構えし錫杖の一閃にて、聖域であるにも関わらず強引に召喚されたは、さほどには狭くもなかった窟道をめいっぱい、悠々とその身で埋めるほどもの、雄牛よりも巨きな毛むくじゃらの六足の魔獣。
《 儂はこれから一仕事を始めねばならぬ。そやつらを食ろうてしまえっ!》
杖の先の中空へ、見えない力で搦め捕ったは因縁のグロックス。それを用いての闇の眷属の召喚術を今より施そうという老僧であるらしく、相対していた導師らからの邪魔だてをさせぬようにと、時間稼ぎに招いた魔物へそんな指令を与えての撤退をし、
「あ…っ!」
「待てっ!」
ハッとしたこちらの陣営がそれぞれが怒鳴った声を、魔獣のがらがらとした咆哮がそれはあっさりと押し潰す。この大物を叩き伏せねば、たとえ擦り抜けられたとしても向背から追われ、襲い掛かられての一巻の終わり。そうそうすんなりとは追えぬぞという、置き土産を残して行ったということだろう。勿論、そんな見え見えの時間稼ぎには付き合えぬと、こちらも機転の利く皆様揃い、臨機応変への切り替えも素早く、
「そこの復活剣士は、チビとそれから桜庭の抱えてる方の坊主とを守って此処へ居残れ。後は俺と一緒について来なっ!」
後というのは導師たち、葉柱と桜庭という二人のこと。ここまでの鍔競り合いの中にては、見事な咒術を披露してもいた阿含とやらも、先程、あの老爺に咒力を奪われたらしいから。今度こそ真っ向からの闇の咒との戦いとなる場に於いては、残念ながら大した戦力にはなれぬかも。なので、武術の腕前をこそ発揮して、時間稼ぎに召喚されし、六足の魔獣を倒すほうに専念せよとの、指示を飛ばした蛭魔であったが、
「ボクも行きますっ!」
あのね? そういう段取りを組まれるのではないかなって思うより先、小さな皇子は懐ろに抱えていた、小さな仔猫へこうと訊いていた。
「カメちゃん、お馬になれる?」
こそりと短い一言を、最も間近で自分への指令として聞いた仔猫はともかく。彼の身をこそお護りするのが何にも優先されるお役目なはずの、王城随一、腕も立てば誇りも高き、白き騎士殿までもが、あのね?
――― ぱぁん、っと。
音がしたかというほどもの目映い輝きの中、皇子の腕からぴょいっと飛び降りながら、その身をするするっと純白の天馬に変えた、聖鳥さんのその背へと。失礼しますと脇へ手を入れ、軽々抱えて乗せて差し上げ。そのすぐ後には、自分も鮮やかな身ごなしで飛び乗って。人が乗るなら…というところまで、ちゃんと心得ていたらしきカメちゃんが、鞍と一緒にその身に装備していた手綱を取ると、さあ走れとの合図を送る。
「あんのバカ公主〜〜〜っ!」
追い抜きざま、金髪のジェネラルの罵声が聞こえたのも振り切って、風に乗ったかのようにそれは素晴らしい俊足を見せる天馬の走り。ああ、そういえば。ほんのついさっきも、その時は獅子だったカメちゃんの背中に乗って、やっぱりこの暗がりを駆けたのを、ちらっと思い出すセナであり。でもね? あのね?
“………全然違うや。”
今だって抱えた想いの真摯さや熱さに変わりはない。自分たちのみならず炎獄の民の人々へまで、こうまでの犠牲を出させておきながら何て非道なことを企むのかという激しい憤怒や、何としてでも追いすがり、邪悪な企みを阻止すべく 立ち塞がらねばならぬという使命感。それらに衝き動かされての、一縷の迷いもない行動だという点は、全く違いはないはずなのにね。ともかく追いつけとセナを先へと進ませては、その場その場の事態収拾のために導師の皆様方が一人減り二人減りし。心細くてしようがなかったまま、怖くて怖くて今にも萎えそうになる心を必死で叱咤して、闇の中をただただ駆けた。こちらの顔触れを判別出来ないままの騎士殿へ、何としてでも追いすがって引き留めなければという使命感と、自分の力だけで彼を悪夢から覚醒させねばというプレッシャーも加わって。何より、セナのことが判らない進さんであるらしいというのが、それがもうもう苦しいやら切ないやらで。小さな胸が破裂してしまいそうなほどの緊迫感に押し潰されながら、ただただ白い騎士を追ったものが、今は。
「………。」
自分をぐるりと包み込むよう、深い懐ろに取り込まれ、頼もしい腕に取り巻かれ。絶大な信頼をおくのみならず、セナの側からも大好きな、それはそれは大切な人の気配と温みと。何があろうと忘れようのない、そんな幸せな空間に戻れたのだということが、今になってしみじみと心に伝わり、胸の底が熱くなる。
――― ああ、此処はなんて落ち着くところかと。
先程までのキリキリとした緊迫の度合いを、どれほどの痛みであったかを、今はもう鮮明には思い出せない。先程までの切迫感とは真逆の意味からの気持ちの高揚が、今度は、小さな公主の背条を伸ばすための絶大な励まし、勇気の源になってくれていて。本来の彼ならば尻込みしたはずの追跡なんてこと、自分から思いつき、そのまま行動に移せたのもそんなせい。
「…セナ様。」
「あ、はははいっ!」
勇んで駆け出したはいいけれど、油断をすると忘我状態になりかかるかも知れないほど、ついついこの温みへと蕩けそうになっていた困った余裕へ、その進さんからのお声がかかる。あわわ…っと我へ返った皇子へ向けて、
「お預かりしました聖なる楯、存分に使わせていただきます。」
「はい。」
今もその左腕の中程に装備されたままの、装着型の蒼い楯。あの水晶の聖剣が変形し、何もないところから現れいでた、正に奇跡の装備品であり、
「その間のセナ様のお手には、何の武装もなりませぬが。」
進もまた、意識が戻りかけていたところで、セナが構えていた剣があったことを見、朧げに覚えてでもいるのだろう。その剣は入れ替わりで消えたので、手元にはもうないのだということを差して、そんな風に言って、それから。一応の基本で両の手で握っていた手綱から、左の腕だけそっと離して。その手がそぉっとセナの胴を優しく抱き込む。
「この身を賭して、お守りいたします。」
ご心配をおかけしたばかりでは頼りにならぬかも知れませぬが、その汚名を雪ぐためにも、どうか離れずにいてくださいませ、と。相変わらずの四角い文言。深みのある声で囁いて下さった騎士様へ、
「はい…。」
小さな小さな公主様、ただただこくりと頷いて。聞こえてなくとも届けとばかり、抱いて下さった大きな手へ、自分の手を重ねやる。ホントは しっかと視線を交わし、判りましたとお答えすべきことだと思うのだけれど。振り向けないのは不安定な疾走中の馬上だからか、それとも…頬が真っ赤に染まったからか。気を引きしめんと見据えた先には、漆黒の闇が広がるばかりだったけれど。もうもう何にも怖くはなかった、ちょっぴり現金な公主様だったりするのであった。
◇
この世界が最も原初の“混沌”からの最初の分裂を始め、森羅万象それぞれが一人歩きを始めた、そんなにも大昔にまで始まりを溯るほどもの大掛かりなドラマ。人の歴史が始まったと同時に連動し始動した、それは遠大で壮大な企みが、だが、人知れず進行していたその大詰め、
「そんな一大事が、まさかこ〜んな地の底で展開されていようとは、それこそ神様だって思いも拠らなかったことだろがな。」
切っ先鋭いサイという、鋼の武具を一対、左右それぞれの両の手に構えた阿含が苦笑混じりに言い放てば、
「こんなことへ いちいち、神様なんて仰々しい存在を持ち出すな。」
少々 辟易気味な表情になった雲水が、こちらさんは三節棍という武具を構えて、淡々とした声を出す。
――― おや、兄者。いつから神様なんかへ敬意を示すようになったんだ?
俺はお前と違う。
不信心じゃあないってか?
そういう言い方しながらも、実は特別な存在だとしてるだろうが。
ご本人の意思としては特に畏れちゃあいないけど。誠実な人々の心に灯る燈火が、いかに敬虔で一途かは知っているから。真摯な想いを踏みにじることほどの“最低”はないと、心得ているから。だから蔑ないがしろにしちゃあいけないのだという順番で、むしろ彼の方こそが律義で手厚いくらい、いつもいつもきっちり意識してたくせによと。悪漢や無頼ぶってるその裏の真意、しっかり把握していた兄上からのご指摘へ、
「…へっ。」
図星だったのを誤魔化すためにか、ぞんざいな声にて鼻で息をつき、裾の長い道着の中、ぐっと身を沈めて下肢へのバネをためる。彼らの視線の先には、辺りの漆黒を吸い込むような、やはり暗い色合いの毛並みをした、得体の知れない獣が一頭。先程まで一緒だった導師たちが怒号で怯ませ、その隙に風のように駆け抜けたのを、いまだ把握出来ていないのか。しきりと、短いがごつい爪のある自分の足元の、地べたの匂いを嗅いでばかりいる魔物であり。すぐさま身を翻して追おうものなら、その鼻先へ飛びついて、有無をも言わさず叩き伏せてやろうと思っていたものが、ある意味では気勢を削がれた格好。
“まあ、それでそれが成功したかどうかは、何とも言えないことだけど。”
らしくもない謙遜から言っているのではなくて。見かけはドでかいヒグマだが、足が6本あるくらいだ、ただ単にでかいヒグマじゃあないかもしれない。かっと開いたその口から、闇の咒を詠唱してこの空間を歪めることが出来るのかも。そこまで高度なことが出来るよな輩は、いくらあの僧正でも呼べないにしても、冷気や炎を吐き出すかもというくらいは警戒していいのが、召喚魔獣の奥深さ。あの周到な僧正が企んだ時間稼ぎにと召喚された輩だから、警戒は多めに見積もっても罰は当たらないだろう。そして、そんな魔獣を相手に、
“信じてくれたんなら、せいぜい応じないとね。”
深手を負った一休だけでなく、お仲間が負わせた阿含の怪我をも陽の咒で応急処置してくれた、なかなかの色男だった白導師様とは、気性も言動も何もかもが違った、金髪痩躯の黒魔導師さんは、
『今ので咒力を奪われたのなら、お前にも奴を徹底的に伸すのは無理だろうしな。』
もう咒を操れない無能に成り下がったのだから、僧正を追ったとて戦力にはなるまいと。だから、この化け物はお前らで倒せと言い置いた。役立たずと言わんばかりの悪態はだが、そのまま。自分らを追って来れぬよう、この魔獣を、彼らの背後を任せたという、絶大なる信頼をくれたからこそのもの。揮発性の高い、いかにも利かん気の強そうだったあの金髪のカナリアさんは、なのに…随分と読みも深けりゃ懐ろも深くて。
“もしも読みが外れても、その最悪の結果を自分で補えるって自信がなけりゃな。”
ただの安請け合いじゃあない、万が一の結果が出りゃ出たで、その身を投げ出してでもそっちもきっちりフォローをこなしてやんぞ、という、半端じゃあない自信があってこそのもの。
“やっぱり俺、あの黒魔導師だけは好かんわな。”
想いと裏腹、口許に浮かんだのは擽ったそうな笑みが一つ。シニカルな表情ばかり、見て来た兄上が、おやと小首を傾げたところで、さて。
「さぁてと、この熊もどきのカス野郎。どうやって料理しようかねぇ。」
今度はいつものニヤニヤ笑い、余裕で浮かべた阿含であり。その声が聞こえてのことかと思えた間合い。鼻先をやっとのこと、自分の本来の首の高さまで持ち上げて、ふんふんと辺りをやはり嗅ぎ回っていたものが、
「〜〜〜〜〜。」
こちらへ背を向け、奥へと向けて、その行動の方向転換を図ろうとして見せたのへ。
「させるかよっ!」
明かりは乏しいが、それこそ伊達にこの窟道の先にて生活して来た自分らではない。眸は利く方だってのを生かして、ついでに…無謀と紙一重の度胸もご披露しての、素早くも力強い跳躍一閃。3階分の吹き抜けほどはあったろう天井すれすれ、もしも後足にて身を起こしたなら、魔獣の頭と挟まれないかというほどもの微妙な高みまで。一瞬の、一蹴りの跳躍にて駆け上がり。その手の中でサイを片方、ぐるんと回しながら振り上げる。逆手となった持ちようの、その切っ先は迷いなく、相手の片方の目へと突き刺され。
「ぎゃあっ、があぁぁああぁっっっ!!」
突然の激痛には、さすがに…生命の危機と直結していることだけに、魔獣の反応も素早くて。弾けるように身をのけ反らせ、さっきまでの鈍さを吹っ飛ばす暴れようで、これも大きく野太い前足を、ぶんぶんと振り上げ、被害を受けた顔へ掲げんとする。
「おっとぉ。」
直接の恨みはないけれど、こんだけの存在が暴れれば、すぐ間際にいるだけでもどんな大怪我を負い、洒落にならない巻き添えを喰うだろうことは想像に如くはなく。風を撒くほどの威力でやたらに振り回される、体との比率は短くとも、虎の牙ほどもありそうな爪つきの前脚を避けながら。その進行を阻止すべき側へと、無事に着地したらしき阿含の気配を拾い上げた雲水が、こちらはこちらで逆走を阻まねばと、杖ほどもあろうかという長さの棍棒、体の前にて構えたところが、
――― がうっっ!、と。
ほんのすぐの目の前で。巨大な何物かが頭上から勢いよく落ちて来た。生暖かい気配とそれから、殺気に満ちた危険な気配が一組になっての急襲に、相手を確認するどころではない、ほぼ本能的な反射にて。ざっと背後へ大きく飛んで避けた彼だが、
「な…っ!」
自分がいた場所、そこへとガツンと堅い音を立てて噛み合わされたは。それは巨大な…獣の歯並び。てっきり毛むくじゃらな尾だと見えていた部分が、ぶんっと振られた高みから、勢いよくの急降下をして来て。しかもその先に…見事な歯並びを揃えた口があんぐと開いて、雲水の頭上から襲い掛かったらしくって。
「こっちにも口があったぞ。」
「ああ"?」
何を寝ぼけたことをと思われても仕方がないかと、自分で先に答えを出して。くくっと口許だけで笑った兄上が、その両腕の間で長かった得物をじゃらりと緩め。3分の1になった片端の棍で、手元の高さに降りた格好の口を目がけ、真上から容赦のない殴打を喰らわす。すると、
「…おっと。」
さすがは召喚されただけはあるということか。こちらには顔があるでなし、見定める目もない口だけの尾が、お見事にも自分への攻撃を感じ取り、再び口を大きく開いて、降って来た棍をがっつりと噛み止める。体の大きさだけの力はあって、引こうが突こうがびくとも動かず、尋常であるのなら、これで武器を封じられた奪われたとなるところだが、
「行儀の悪い口だよなっ!」
固定された端はすぐさま見切るや、中に仕込まれた鎖を引き出して間隔を空け、動作に余裕の出来た逆の端をぶんっと回しての畳み掛け。閉じられた上から、やはり容赦のない勢いにて、棍棒での殴打攻撃が降って来て、
「ぎゃぎゃ・おううぅっっ!!」
これは結構響いたらしい。力の萎えた口許からは、噛みしめられてた側の棍もあっさりと零れ落ち、牙同士がぶつかったのも痛かったのか、口ごと尾の毛並みの中へと引っ込んでしまった。そのせいで膨らんだ尾っぽを、雲水が油断なく見据えている後方の様子はあいにくと見えない、こちらは前方。
「何だよ、後ろにも口があったって?」
急所を抉ってのダメージを与えたその端から、普通なら油断していたかも知れぬ後方待機の陣営へ、そんなフェイント攻勢を仕掛けられる輩だとは。これはやはり、一筋縄では行かない相手ぞと。思った…割に、その表情は緊張に引き締められるということもなく。むしろ、さしたる脅威と感じてはいないことが伺い知れる、楽しげにさえ見えかねない笑みというか喜色というかが、頬に口許にうっすらと滲み出ていたり。
「陽界に現れたってだけでも大したもんだのにな。とんでもなく大物の魔物なんだな、お前。」
式神としての殻器を与えられ、陽界に既に待機していた存在であれ。この聖域への召喚に耐えられただけの生気はそれだけでも大したもので。しかも、間近に召喚師サマナーが不在だというのに、その破壊力を頼みにされたとは。
“もっとも。使い捨ては、召喚師には珍しくもない戦闘法だがな。”
自分たちの仲間を、一族を。祖先からのずっと、自分の闇咒力分散のための殻器にして来た奴が呼び出した魔物。ただ単なる場ふさぎ、時間稼ぎのためだけに招かれた命。サイが突き立った眸はやはり痛いからか、巨体をうねらせ、身もだえする様、一応の注意は払って見守れば。ボタボタと、血にしては黒々とした、コールタールのような体液のあふれ出してる、顔の傷口から。ぬるりと濡れたしたたりをまとって、勢いよくも細長い突起が長々と飛び出し、
「…っ!」
それがこちらへまで到達するほども伸びたのは予想外。液体が噴出したのかと思わせたほどの勢いがあったが、肩へと当たった衝撃の堅さは、石ほどではないながらも結構な存在感を持ち。しかもしかも、
「な…っ!」
めくら滅法のでたらめに飛び出して来たものが、掠めて通過した…だけでは済まされず。当たったことから何をか測ってのことなのか、道着をまといし屈強精悍な青年の上体へ、正体不明のその何物かが。弾性を見せての連動もなめらかに、輪を描いての しゅるんと絡んで巻き付いた。あまりの素早さが、それこそ 液体が激流と化して、器を一気に満たすが如くというほどもの瞬く間。
「阿含っ!」
不審な声を上げたのが届いたか、何があったと訊く兄の声へ、
「気ぃつけろ、兄者。」
こいつ、やっぱ只者じゃねぇわとの意を含め、短く応じて。一枚の膜のようになった何物か、上半身を腕ごとくるまれ、搦め捕られて…さて。体の側線、腰より下へ、押し出されるよな格好で、強引に下げる姿勢を取らされた両の手の。器用に動く指を回すと、その手の中にあったサイを双方ともに、くるりくるりと回して見せて。
“痛点があるものか…。”
これが触手の一種なら探査機能もついていようと。フォークか若しくは三股の十手、切っ先を尖らせて きゅうと窄めたようなその先っちょを、逆手に握って上向かせ、自分の体を避けた辺りへ、ぶっさり思い切りよく差し込めば。
「〜〜〜っっ!!」
フギャァッともギャインっとも言えぬ奇声が上がって、
「おおっとっ。」
痛かったからと手を引っ込めるのと同じ反応、獲物を巻いたまんまで、その触手を引き上げる相手であり。遠心力を込めてのぶんっと、宙で大きく振り回されたその先に、
「…っ! 阿含っ!」
ごつごつと突起の多い岩壁がある。わざわざ叩きつけようというだけの、
“知能もあるってことだろか。”
冷静に思案するだけの余裕があるほど、既に全身の連動が別反応にて起動しており。両肘を真横へと突っ張って、サイでつけた傷を広げる阿含で。薄さの割に柔軟性から丈夫そうだった膜は、先程受けた痛みへの反射か、それとも抵抗を見せてのことなのか、ミリミリと押し返し、捕捉した対象を絞り込もうとしたものの、
「…哈っ!」
気合い一喝、ぐんっと身を広げた動作のまま、ぴったりくっついて自分を束縛していた膜組織を引き千切る豪の者。叩きつけられかけていた壁を目がけ、蹴り返すような所作にて足からの接地をすると、反動を得ての跳躍とそれから、
「待てよ、この野郎っ。」
ちぎれた残りが、すごすごと引っ込むのを追ってのこと。その手の中で みたび構え直したサイの切っ先、今度は真っ直ぐ握り直して突っ込めば。
「…っ!!」
接近戦を拒んでか、ぶっとい前足がぶんっと風を切って煽られて、
「ちっ!」
飛翔というより跳躍だから、空中でのコース変更なんてそうそう出来ない。
「南無三…っ!」
一か八か、真っ直ぐ突っ込んでいた体を何とか縮め、牙もどきの爪が飛んで来たのを何とか逃れる。
「チッ!」
頬の肌を鋭く裂き、ドレッドを一房 根元から持ってかれた、その見返りのチェックメイト。有るか無しかの首の下、防御が空いた懐ろの毛並みへ、落下速度も加わっての勢いのままに突っ込んでゆく剛腕の戦士。そのまま振動で窟洞が崩れ落ちるんじゃないかというほどもの、大地を震わせる大絶叫が鳴り響いたのは、言うまでもない結果だった。
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*さあさ、苦手な乱闘・戦闘シーン満載の、クライマックスへの突入でございますよう。
書き手が腰抜けでございますので、さほどにむごい描写はないものと思われ、
そういう意味合いからは安心してお読み下さっていいかと、なんて。
書き手が真っ先に無条件降伏していてどうするか。(苦笑) |